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 トルシェ監督のモチベーション・コントロール [735] 2003/10/30 (Thu) 12:32 
ケット・シー 

以下は、トルシェ前日本代表監督のモチベーション・コントロールについての記事の要約です。

本当は要約だけでなく、この問題に関する私の考察も加えたいのですが、現在のところ時間がないので、この部分だけのアップにします。

*******

中鉢信一「進化する日本サッカー」より。

87年にトルシエを監督として迎えたパリの「レッドスター」の会長、ジャン・クロード・ブラ(45年11月15日生、フランス出身)に尋ねるとこう答えた。

「変わっていたという表現がいいのかわからないが、当時から目立つ存在だった。もちろん、監督としての腕前も確かだと証明されていた。だから、レッドスターにこないかと誘った」

トルシエより10歳年上のブラは、選手としての経歴でもはるかに上だ。〜(中略)〜フランスリーグの選手会会長を勤めたこともあり、フランスのサッカー史上初めて選手ストを決行した「戦歴」の持ち主でもある。年齢に加え、経験と実績に支えられた余裕が、トルシエに対する視線にも反映されている。

〜(中略)〜トルシエのクラブや協会との交渉術について〜

どうしてブラは、トルシエの交渉術を見ぬいたのだろうか。雑務に追われがちな会長の職にありながら、選手出身のブラはチームのことが常に気にかかっていた。だから、トルシエが選手たちをどう扱うのかを毎日のように観察していた。すると、トルシエはチームを指導するときにも、「対立」と「混沌」の作用を利用しているのがわかった。

〜(中略)〜

中心選手を「帰れ」「やめてしまえ」と罵倒して、追い詰めたこともあった。時には選手を突き飛ばしたり、つかみかかったりすることもあったという。

長年のプロ経験があったから、ブラはそんな指導ぶりを見ても驚きはしなかったという。どの時代もそうだが、プロサッカーの監督が、日常の社会生活ではありえないような攻撃的な態度で選手に接するのは珍しくはない。

どんな目的でそういう指導の仕方をしているのか。ブラはトルシエと議論を重ねるうちにその意図をくみ取っていった。トルシエの目的は、厳しいプレッシャーのかかる状況を人工的に作り出し、選手たちに刺激を与えるためだとブラは理解した。

まず、サッカー選手の行動パターンを理解しなくてはならない。選手たちは本能的に、チームの中にヒエラルキーを作る。ピッチの内外でその上下関係を敏感に感じ取りながら行動している。例えばエース級の選手と実績の乏しい選手の関係は同等ではない。日本であればそこに、年齢による上下関係も加わる。

エース級の選手をわざと批判したり、厳しい指導で怒らせたり、不慣れなポジションへのコンバートやコンビの組み替えを命じたり。監督と選手、あるいは選手同士の関係に混乱を引き起こし、それまでの関係を1時的に壊す。すると、チーム内には新たな秩序を作るための競争が始まる。それまで自分を出しきれなかった選手が、個性を発揮してヒエラルキーの上位に踊り出ようとする。自分の地位を守ろうとするエースは、さらに強いリーダーシップを発揮して、チームの中心に居続けようとする。監督の信頼を得ていると安心していた選手が、もう一度自分をアピールしようとする。逆に競争に勝てない選手は影が薄くなっていく。そのプロセスを利用して、伸びる力のある選手を見つけ出し、それをいかす。新しいトライを引き出し、チーム内の競争を活性化させる。トルシエはそうやってチームを作っていった。

〜(中略)〜

01年の世界ユース選手権(20歳以下)で、日本ユース代表に同行した日本サッカー協会の幹部は、約3年ぶりとなる「トルシエのいない代表チーム」の雰囲気を敏感に感じていた。帰国後、「トルシエのチームと比べると、ロッカールームにはピリピリとした緊張感が足りなかった。勝つにはトルシエのようなやり方も必要だ」と報告している。トルシエの手腕に対する新しい視点も芽生えている。

*****

以上です。後日また、この問題を考察してみたいと思います。

それではまた。


 テンション・コントロール? [736] 2003/10/30 (Thu) 13:12 
ケット・シー 

2002年のアルゼンチン戦の頃の投稿です。今話題のテーマに関連してくると思い、再録します。

******

ようやくDVD「6月の勝利の歌を忘れない」を見ています。

トルシェ、熱いです。
突然ヘンなことをします。
GK陣を罵ったり、いきなり「何秒でやれ!」とか言い出したりします。
小野君がフォロー入れたりしています。

さて、私はある映画監督と話したことがあります。
彼は、映画の撮影中、スタッフがちょっとでも「だれる」と、いい映画が出来ないと思っているそうです。
また、重い機材を使い、高圧電流、高熱になるライトなどを使う映画の現場では、ほんのちょっとの「だれ」も、実は危険につながります。

そこで彼は、ちょっとそれを感じたところで、わざと事件を起こすそうです。
例えば「そう言えば3カット前のところ、満足できなかったな」とか。
「今思いついたんだけど、ここの窓にカーテン欲しいよな」とか。
映画の現場で監督の立場は絶対です。
その監督が、そういうことを言い出したらスタッフは絶対にそれを成し遂げなければなりません。
「すわっ」と緊張が走ります。
全スタッフがピリピリします。
そうして、現場の「だれ」を彼は回避するのだそうです。

こうしたことは、ある程度の人数以上を率いて何らかの仕事をしたことのある人には、さまざまな形で意識されていることと思います。

今回のアルゼンチン戦。
秋田は「ここ何年か試合前日にこれほどリラックスしたことはなかった」と語りました。
しかし無論、試合が始まれば集中していたでしょうし、気合も入っていたでしょうし、テンションも上がっていたでしょう。
彼はリラックスしながらも緩んではいませんでした。
そのことに疑いはありません。
前半のプレー振りを見ればそれが分かります。
しかし、「集中」は、自分でもわからないあいだに切れるものです。
自分では集中しているつもりでも、一瞬、ぽっかりと空白が出来てしまう。
自分ではどうしようもないことでもあります。
うまく行っている時にこそ、それが起こりやすいものです。

そうやって調子よく前半が終わったところで、ハーフタイムの雰囲気はどうだったのでしょうか。
喝はあったのでしょうか。激はあったのでしょうか。
もう一度ピリピリさせる、何らかの刺激はあったのでしょうか。
どうも、ただ漫然と「前半の調子をキープしよう」と言って試合に出て行き、そこでぽっかりとなって、そのまま2点を入れられたように思えます。

http://sports.yahoo.co.jp/soccer/headlines/mai/20021123/spo/19421100_mai_00002028.html

ジーコ監督は、「日本はいまだに1点の失点で動揺してしまう。ワールドカップ(W杯)前のノルウェー戦で起きたことと同じだ」と話しているようです。
これはまったくその通りで、そのノルウェー戦を受けてトルシェ監督は秋田を召集しました。
ところでそのノルウェー戦に向けての合宿中、トルシェ監督の甥ごさんがなくなられ、監督が離脱するというハプニングがありました。
川口選手の手記によると、ちょうど遠征の疲れが出る時期でもあり、トルシェ監督のいなくなった練習はなんとなくピリッとしないものになってしまったようです。
緩んだ、とは言いませんが、それがノルウェー戦全体のメンタルコンディションに悪影響を及ぼしたことは否めないでしょう。

アルゼンチン戦にはジーコ監督が不在でした。
したがって言うまでもなく、ジーコ監督も、山本監督代行も、チームのメンタルコンディションの維持に関しては、今回は責任を問えないでしょう。
しかし、選手という人間の持つ、精神面での状態の良し悪しは、しっかりと指揮官が見きわめて、対処法を考えていかないといけないことは、今回の件でもはっきりと分かりました。

これからは、ジーコ監督のメンタルコンディション向上法、試合中に選手の集中をもう一度させる方法論に、期待したいと思います。

それではまた。


 追記 [737] 2003/10/30 (Thu) 16:28 
ケット・シー 

誤解なきよう申し上げて起きますが、私はトルシェ無謬論(トルシェのやってきたことはすべて正しかった)という立場に立つものではありません。

彼自身にも、よい点も悪い点もあり、さらに言えば、彼のモチベーティング手法にも、よい点も悪い点もあったでしょう。

ただ、少なくとも彼がそれを意識して行なっていたことは確かであろう、ということを言っているに過ぎません。

また、トルシェの「態度」に対する批判のうちのいくらかは、このような考察によって、的外れであるということができると思います。

しかし、だからと言って、彼の行動のすべてがこのような計画に基づいたものであると主張するつもりはありませんし、実際、たぶんかなり奇矯な人格であったことも否定するつもりはありません。

と同時に、彼がその自分の性格を利用(?)して、選手のモチベーションをかきたて、戦う集団にしようとし、また練習に集中させるピリッとした雰囲気を作っていこうとした、ということも、確かであろうと思われるのです。

その「しようとした」ことが、どの程度功を奏していたのか?

それはまた、しっかりと考察をしなくてはならないでしょうね。

それではまた。


 「声出し」 [738] 2003/11/11 (Tue) 02:59 
ケット・シー 

話題の「声出し」について考えてみました。

1)トルシェは最初の合宿で、パス回しの際にお互いの名を呼ぶことを徹底しました。

何だ、名前なんて、と思われるかもしれません。
でもまずとりあえず、声を出すことの方が大事なのです。
何らかの声を出し続けていれば、必要な時には名前以外の指示の声も出しやすくなる。
スムーズになる。
実際に「名呼び」の後は、ボールが欲しい時はこっちへ、とか、
プレスの時の指示なども要求、練習で徹底していきましたね。
参考までに

http://bbs11.otd.co.jp/1118983/bbs_tree?base=656&range=1

しかし、トルシェのときは練習で動き方を身に染み付けているはずでした。
つまり、声がなくてもある程度動きは共有しているはず。
それでも、口うるさいほど声出しの重要性を徹底して、練習して行ったのは、
「コミュニケーション」がサッカーの本質であることを知り、
ほっておいたら日本の選手はそれがあまりうまくできないことを、
的確に見て取ったからに他ならないでしょう。

現代表はあまり約束事のない、自主性を基盤にしたサッカーであるようです。
そうであれば、前監督時代の代表よりもはるかに「声だし」が必要であるはずです。
でありながら、現状、そのための指導は特にされていないようですね。
これまではあったそういう「声だし」が、消えてしまっているのでしょうか?
ヒデの意見ではそうであるようです。

2)そういえば、それ以外にトルシェは、ピッチ内外のチームの雰囲気作りにも意を砕いていましたね。
メインとサブの垣根を作らないことなどもその一つでしたが、
選手の中にそういう意味での、「声出し役」ができる存在を見極めて、チームに加えて行きました。
小野と中澤は、実はそういう意味で非常にトルシェに買われていた選手でもありました。
その二人とも、ルーマニア戦ではピッチ上にいましたね。
それでなぜ、「声が出ていない」になってしまうのでしょうか。

1)は日常からそういう指導をしていないから、2)は、いわばまあ、「雰囲気」の話でした。
しかし、現状声が出ていないのは、それだけでもないと思います。

3)「声を出そうにも、なにを言ってよいかわからない」のではないでしょうか?

中澤が

>ディフェンスラインでは基本的なことを話した。アプローチの仕方とか、カバーリングとか。まだまだの部分があるけど、時間をかけて作っていきたい。

と話していますが、やはり現時点でDFの意識統一ができているわけではないようです。

また、中盤でのプレスのやり方についても、監督から明確な指示があるわけではない。
そうなると、その時々で選手たちは「えーっと、どうするんだっけ」と考えながらやって行くことになります。
それでは、確信を持って声を出すことができない、ということではないでしょうか。

これは、以前コンフェデ杯後に書いたことですが、ジーコ監督のやり方では、「選手を固定して、選手間の話し合いで約束事を作る」ことになります。
(現状を見ていると、話し合いというよりも、ヒデの指示を聞く、という感じだったのかもしれませんが)
したがって、選手を固定して何試合もする必要があります。

しかし、そうやってできた「話し合いによる連携」は、それに参加していなかった選手が入ると、また作り直しになります。

今回のルーマニア戦では、小野と中澤という、コンフェデセットには不在だった二人が入っています。
しかもおそらく当時話し合いの中心だっただろう宮本もいない。
あの時できた守備時の連携が薄れていても、当然なのですね。

そういう状況では、声が出ないと思います。
選手たち自身、どうするのがチーム方針なのかわかっていないのですから。
ヒデだけはチュニジア戦後のメールを見ると、「こういう風にプレスすべきだ」という意見を持っていて、それを周囲に伝えたようですが・・・。
それほどの経験知も、また自主性も他の選手たちは持っていないということなのでしょう。

以上、1)2)3を考えると、現状も無理もないことだと思いますね。

選手たちがこの壁を自分で乗り越えるのか、それとも監督を変えたほうがいいのか、私には自明に思えるのですが・・・。

それではまた。


 「声出し」&余談 [739] 2003/11/11 (Tue) 03:03 
ケット・シー 

これは、J-KETでamoさんからいただいたレスに対する返事です。ちょっと置いておきます。

******

>>「コミュニケーション」がサッカーの本質であることを知り、
>>ほっておいたら日本の選手はそれがあまりうまくできないことを、
>>的確に見て取ったからに他ならないでしょう。

> ケット・シーさんはこの文をどんな気持ちで書いたのでしょう?
> 代表チームの「幼児性」をこんなにあけすけに露呈・認めてしまって(苦笑)

あらら、私は「幼児性」を指摘したつもりはないんですよ。
「サッカーにおけるコミュニケーション」は、大人性、幼児性とはあまり関係がないと私は思います。
ただ日本のサッカー環境、育成環境がそういうことを伸ばすのに向いていなかった、というだけのことではないかと思っています。

> 多少なりとも苦い思いで、でも自分たち代表の弱点としっかり向き合うという
> 強い気持ちで書いたんだと思いますが。

もちろん苦いです(笑)。でも、それも含めて日本代表ですからね。
弱い点があれば、適切に手を打っていけばいいのだと思います。
現状それはできているのかどうか、というところでしょうか。

> ほうっておいてもうまくできるようになりたいですけど…。

それには、選手一人一人の経験が必要でしょうね。
海外組、Jリーグ組の積み重ねる経験、これからの若年層の育成に期待しましょう。

>>3)「声を出そうにも、なにを言ってよいかわからない」のではないでしょうか?

> この点は、思いっきり理想論を言えば、代表に入るような選手はみな
> 「こういうサッカーをしたい」というプラン、コンセプトをそれなりに
> 持っていて欲しい、と思います。
> それを、すり合わせしてけば、(今の)日本代表はこんな感じ、という
> 「ゆるやかな約束ごと」を生むことはできると思うのですが…。

やあ、それはそうだと思いますが、その「すりあわせ」をする時間がないときは、やはり監督が大まかなベクトルそろえをする必要があると思いますよ。

> あるいは、危機意識によるものでも構いません。(こっちの方が現実的かな)
> 「こうやっていかないと、形にならないし、勝てない」という。

ヒデは、それを良くやっているようですね。

> 「コミュニケーション」は「話し合い」をすればできるものではないと思います。

そうですね。
「話し合い」は約束事作り、「コミュニケーション」は、試合中、まわりの選手との意思疎通を図ること。
すこし時間軸が違うかもしれませんね。

> ヒデなんか、指示はすれども、誰とも「コミュニケーション」できてない、と
> 感じているかもしれない。

あ、そうかもしれません(笑)。

> でも…その「コミュニケーション」に関しては、監督変えて問題解決…って
> それでいいのかなーとも思うんですよ。根本的な解決ではないですよね、多分。
> うーむ。

本当に根本的な解決は、日本のサッカー環境、育成環境が変わっていくことを待つしかないと思いますよ。
でも、今の選手たちだって、「チームとしてこうやるんだ」というのがもっと見えてくれば、声ももう少し出るもんだと思います。

余談ですが、私も「創造性」が必要な職業をしています。
自立したプロが数人から数十人集まって、リーダーがその創造性を取りまとめ、一つにしていく、という商売です。
(なんだかサッカーと似てるよなあ、と時々思っています)
重要なのが、全員で顔をあわせて考える「打ち合わせ」の時なのですが、メンバーがシーンとして発言しなくなるのは「リーダーが何を考えているかわからない時」が一番多いのです(私見ですが、ネ・笑)。
自分にいくらか考えがあっても、それが今求められているものかどうかわからない。
だから発言しずらい。
シーンとしてしまう、という状況です。
これはリーダーがいくら話がうまかったり、陽性の性格でも起こることです。
大事なのは、進む方向性を定めて、みんなが考えを出しやすくすること。
それがないと、シーンとしてしまうのです。
今のピッチ上も、これと似たような状態なんじゃないかな、と思っています。
まあ、余談ですけれども。

> それにしても、協会=監督とサポも「コミュニケーション」取れませんね〜

むむむ。むずかしいところですね(笑)。

(ここから小声で)
でも最近、ジーコ監督があんまり望まなかったチュニジア戦をスケジュールに入れたり、ジーコ監督が海外組を呼ぼうとした東アジア選手権を、国内組だけでやるように要請したり、なんだか協会が「チーム・マネージメント」しはじめたような感じを受けているんですよ。
もしかしたら、私たちの「声」も、すこし届いているのかなあ、なんて想像しています(笑)。
余談2でした。

それではまた。


 ピッチ上のコミュニケーション [740] 2003/11/11 (Tue) 03:06 
ケット・シー 

これは、J-KETでamoさんからいただいたレスに対する返事です。ちょっと置いておきます。

******

>> あらら、私は「幼児性」を指摘したつもりはないんですよ。
>> 「サッカーにおけるコミュニケーション」は、大人性、幼児性とはあまり関係がないと私は思います。(ケット・シー)

>「意見」はしないのに、不満は出るという「よくないムード」には
>「幼児性」を感じてしまうんですよね。
>実際にどういう雰囲気なのかは、推測の域を出ませんけども。

えーっと、私が意図したこと、ということでお話しますと、トルシェが見て取った、日本人がまだ得意でない「サッカーにおけるコミュニケーション」は、あくまでもピッチの上の、声だしやプレーによって、味方に自分の意思を伝える、味方の意思を受けて動く、という部分だと思います。
それはルックアップやボディシェイプのような、一種の「技術」「能力」です。
あるいはドゥンガが言うような、「文法」もその範疇に入るでしょうか。
「よくないムード」や「雰囲気」の方は、今回はあまり考慮にいれていません。
そういうわけで、「幼児性」とはあまり関係がないと思うんですよ。

もちろん、日本人の常として、面と向かって意見を言うよりも、後で不満を漏らすというところはあるかもしれません(推測の域を出ませんけれども)。
でも、それはピッチ上の「サッカーにおけるコミュニケーション」と(関係ないとは言わないけれども)、やや別の話なのではないかな,と思っています。

いや、本当は関連づけて考えてもいいんだけど、もっと話が難しくなるしなあ(笑)。

とりあえず、私が書いた「(トルシェが)それでも、口うるさいほど声出しの重要性を徹底して、練習して行ったのは、「コミュニケーション」がサッカーの本質であることを知り、
ほっておいたら日本の選手はそれがあまりうまくできないことを、
的確に見て取ったからに他ならないでしょう。」・・・は、一応「ピッチ上のサッカーにおいてのコミュニケーション」に限定していると思ってください。

藤田やヒデが指摘するような、「チーム内のコミュニケーション」については、また稿をあらためて・・・ということで。

>ここからは余計なお世話&余談

>でも…器用なひとだったら「求められるもの」を発言しちゃいません?

あとですね、何が求められているかどうでもよいことにして、とにかく自分のやりたいことを発言しつづける、というスタイルもあります(笑)。
いわば「クレイジー」ですな。

>「10人の明神くん」になっちゃうかも(笑)
>(あーこのフレーズ懐かしいですね…。)
>そう、今ならば、「10人の明神くん+GK」よりも
>ある意味「めちゃくちゃな」現代表のほうが好き、な気もするんですよ(笑)

「監督が何も言わないのでベクトルがそろわない」現代表。
「監督が何も言わなくても、10人の明神がなんとかする代表」
「監督が指示をきちんとして、7人の明神と3人のクレイジーがいる代表」

私は最後のヤツが好みですなあ(笑)。

>> もしかしたら、私たちの「声」も、すこし届いているのかなあ、なんて想像しています(笑)。

>そうですよ!!
>そういうダブル・ミーニングも込めての「声出し」論ですね(笑)

なるほど!じゃあ、サポが代表の影の参謀ってことで、発言し続けましょうか(笑)。

それではまた。


 チーム内のコミュニケーション [741] 2003/11/11 (Tue) 03:08 
ケット・シー 

さて、「チーム内コミュニケーション」については、このチーム、どうなのでしょうか?

ヒデは「このチームはあまりにも選手が話をしない。今日も(自分が)試合中に怒鳴っていたけれども、これを修正していかないと、予選に向けても、ずっと大きな問題を抱えたまま戦うことになってしまう」と言っていますね。
これは「試合中のピッチの上」以外にも、「このチームには」そういう問題があると指摘しているように感じられます。

今回チュニジア戦は、レギュラー組DF陣が参加できなくて、加地、三浦、茂庭、広山、藤田、といった、「初顔」が参加していました。そのようなチームで、「選手があまり話をしない」のは実は不思議ではないように思われます。しかし、中田ヒデももちろん、「初顔」の選手たちを指して「このチームはあまりにも話をしない」と言うことは「ない」のではないでしょうか。それはあまりにも当たり前だからです。「このチームは・・・」というのは、以前から継続する「このチーム」のことであると、私には思えます。

http://www.yomiuri.co.jp/hochi/soccer/mar/o20030327_10.htm

これは3月28日ウルグアイ戦前の記事ですが、この時もそうですし、

http://www.sanspo.com/soccer/top/st200306/st2003062004.html

このように6月13日からのフランス合宿(コンフェデ杯)でも、中田は同様のことを指摘し、チームメートに改善を求めています。このずーっと継続する問題を、今回も「このチーム」の問題として指摘したと考える方が自然でしょう。

ジーコ監督のサッカーは、監督があまり指示をしない代わり、自分たちで話し合い、作っていかなければならないサッカーなのだろうと私は思っています。
そのためには、選手が「自主的に」いろいろと考えを話し合い、すりあわせ(?)をしていかなくてはなりません。
中田選手が、ウルグアイ戦あたりでその必要性に気がつき(?)、その後宮本選手とともに、一生懸命話し合いをし続けて、コンフェデ杯での一応の内容を作り上げました。
しかし、その過程においても、中田選手はチームメートに不満を抱えていたのではないかと思います。
それがこの日の「このチームは、あまりにも話をしない」に出てしまったのではないでしょうか。

私の想像ですが(というか、この手の話は想像が多くなることは避けられないのですが)、中田選手は宮本選手とともにその種の話し合いのリーダーシップを取りながらも、他の選手たちからの「いや、俺はこうしたい」というようなリアクション(?)の希薄さに、歯がゆい思いをしていた、ということではないか。
以前にも「みんなが主張してまとめるのに苦労するようなチームになった方が、強くなる」というようなことを言っていましたね。
今、それが、ない、ということではないかな、と思います。

それは一つには、自己主張が苦手な日本人の国民性もあるでしょうし、このチームに選ばれた選手たちの性格から来るものもあるでしょうし、監督の指示があいまいだから、ということもあるでしょう。
それらを克服して、ヒデの求めるような「まとめるのに苦労するようなチーム」にできるかどうか。
ヒデは「そうしないと日本は強くならない」と思っているようですが、今のジーコジャパンは、どうやらそうなってはいないようです。
「放任」されただけで、日本人選手がそのように参加意識を高めることができるのか、どうなのか。
難しいところですね。

今回、宮本選手がいないことがさらに中田選手の不満をいや増したことは間違いないと思います。
しかし、彼が一人参加すればどうにかなるというものでもない。
ジーコ監督の下で、日本がさらに上を目指すには、皆がそういう意識を持つようにする必要があるのでしょう。
できるのかどうかわかりませんが・・・。

ところで、これは完全に私見ですが、現在のところむしろヒデが率先して話し合いをリードしてしまっているために、皆が「怖がって」(笑)、声出しや話し合いでの発言が減っている、というところがあるかも、とこれも「想像」しています。
ああいうタイプがリーダーだと、これも逆に打ち合わせなどで意見を言いにくくなることは、ままあることです。
(わかっていただけると思いますが、これはけしてヒデをくさしているわけではありません)
一回ヒデ抜きで(宮本ありで)、小野あたりがリーダーシップを取った「自主性発揮話し合いプロセス」をチームが共有しておいて欲しいなあと思うのですが・・・。
やっぱりヒデはアオレンジャー、ないしコンドルのジョーで、アカレンジャーや大鷲の健は別の人、やはり小野かなと私は思っているのです。
まあ最後のは冗談&余談ですが(笑)。

・・・あんまり「雰囲気」とか「幼児性」の話には行きませんでしたね(笑)。
とりあえず、以上が私が今思ったところです。

それではまた。

関連して(?)ちょっと面白い(笑)昔の記事を見つけたので張っておきます。

http://soccer.cplaza.ne.jp/archives/special/n32/monthly.html


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